万字炭山駅について

1985(昭和60)年に廃線となった旧国鉄万字線沿線において、かつて駅があった場所には駅名を記した石碑が設置されています。

起点となる志文駅から順番に「上志文駅」、「朝日駅」、「美流渡駅」、「万字駅」、終点の「万字炭山駅」と続くのですが、この万字炭山駅の石碑だけは、諸事情により実際に駅があった場所とは遠く離れた【万字交通センタ-】に設置されていました。



■画像:昭和42年竣工の万字炭山駅の情景(現在も画像の橋が残っているので、場所の特定が容易です)

万字炭山駅の石碑は、2011(平成23)年から2012(平成24)年にかけて、降雪が10mを超える大雪によって破損してしまったようですが詳細は不明です。当時から石碑が失われたことを気にかける方はいても、なかなか復元に至る気運が高まらない状況が続きました。しかしこの度、当時の製作者でもある㈱溝口石材工業様のご厚意で修復の申し出があり、その際、少しでも本来の駅のあった場所に近づけたいとの思いで、2025年9月にこの地に移設復元することができました。


*この石碑の場所は万字線終点の「万字炭山駅」から直線距離で約100mほど奥になります。

実際の「万字炭山駅」があった場所
~私有地につき敷地内には立ち入りはできません~

※道路際からコンクリート基礎等を確認することができます。

■現在、移設された石碑の前に見えるコンクリート構造物は「万字炭鉱の選炭機基礎」であり、この地から大量の石炭が貨車に積まれ、各地へ運ばれていきました。正面から見ると今も線路が引き込まれていたアーチの上部を見ることができます。


■下画像:【画像中央付近が石碑のある現在地】この場所はこのような賑やかで活気に満ちた場所で、中央右手の大きな建物の基礎が石碑目の前のコンクリート基礎になります。

ここから沢山の石炭が積まれ、万字線を経由して各地へと運ばれていった情景を思い浮かべていただければ幸いです。


万字駅と万字炭山駅エリアに暮らしていた人々は、昭和35年当時で5,019人でしたが、現在は56人(令和7年8月末)となりました。

■参考までに旧国鉄万字線沿線の人口の推移を紹介します。

各駅のエリアとして、上志文、朝日、美流渡、万字、万字炭山に暮らしていた方を合計すると、1960(昭和35)年には約2万人と驚くほど多くの人々が暮らしていましたが、2025(令和7)年8月時点で現在は765人と、ピーク時の96%減となり、何と4%ほどしか残っていないことがわかります。

これは万字線沿線のみならず、空知地方の炭鉱が盛んだったエリアは、そのほとんどが同様の推移をみせており、北海道開拓から石炭産業の活況により、僅か80年ほどで栄華を極める隆盛を誇り、そしてその後、石炭産業の衰退により、僅か約65年ほどで世界でも稀な急激な栄枯盛衰を展開し、急激な人口減少が現在進行系で進んでいる稀有な地域であることがわかります。

日本遺産〈本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~〉は、このような栄枯盛衰のドラスティックなストーリーを「負の遺産」と捉えずに、「未来の地域価値」に転換する取り組みを行っています。ぜひチェックしていただければ幸いです。

〈炭鉄港ポータルサイト〉
https://3city.net/

〈NPO法人炭鉱の記憶推進事業団webサイト〉
https://soratan.or.jp/

この度、石碑の修復工事をしていただいた

〈㈱溝口石材工業様のwebサイト〉
https://www.ishiyasan.co.jp